いいマッサージとは(1) – 疑問

タイマッサージのスクールはたくさんあり、評判の高い先生もたくさんいる。例えば、治療マッサージで名高い、ピシット先生、盲目のシンチャイ先生、外国人に人気のピシェット師、きさくなワンディ先生、ナーブタッチのレックチャイヤ先生、・・・

それぞれスタイルが異なる。同じタイマッサージといってもテクニックは様々だ。どこかのスクールで長期間学んだ人であっても、これらの先生を訪ねれば、今まで習ってきたことは否定され、修正されまくり、自信を失うことになる。

ここで、一つの疑問が起こる。ピシット先生(名人中の名人)がシンチャイ先生にタイマッサージを行ったら「それではだめだ、こうしなさい」と修正されるのだろうか?

これに対する答は恐らく二つある。私のスタイルを学びに来たならばそのやり方ではだめだ。しかし、あなたのスタイルで行うなら、そのやり方は完全であり、直すことはない。

スタイルが異なれば、テクニックは異なる。しかし、どんなスタイルにも共通する、これだけは押さえておかななければならない、そしてそれさえ捉えて置けばよい、という本質的なポイントがある。スタイルの異なる名人同士が対話する際には、スタイルの違いではなく、その共通項であるタイマッサージの核心部分をお互いに確認するだろう。

では、名人達は、何を極めているのか? スタイルに関係なく存在する本質的な技術とは何なのか? これがわかっていれば、スタイルの異なる人に自分の手技を否定されても動じることはない。それは、スタイルの違いだと理解できる。あるいは、本質的な部分の未熟さに気がつくこともある。多くの人は、新しいスタイルの名人に接すると、今まで習ってきたスタイルそのものが間違っていたかと、すべてを捨てて学び直す傾向にあるが、そんな必要はないのだ。

本質的に何を目指さなければいけないかという目標設定ができれば、練習もし甲斐がある。スクールではとにかく「練習しなさい」と言われるが、目標を具体的にイメージすることなく繰り返し練習しても全く上達しない。
目標なき練習とは、例えば、ネットもラインもない野原に向かってテニスのサーブの練習をするようなものである。あるいは、耳を塞いでピアノの練習をするようなものである。

これから何回かにわたって、「いいマッサージとは何か」を解明していきたいと思う。それを理解できれば、他校の人に接するときにも自分の「技術が未熟」なのか、「スタイルが異なるだけ」なのか判断することが出来、直すべきことと、直す必要がないことの区別が出来る。

そして、何ができるようになるように練習する必要があるのか、理解できるし、うまい下手の判断もできるようになるはずだ

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です